HOME » タトゥー除去のHowToコラム » 日本のタトゥーの歴史

日本のタトゥーの歴史

江戸時代の鎖国により、国内で独自の発展を遂げた日本のタトゥー。一般にイレズミと呼ばれ、タトウーとは区別されるように、豊富な図柄と全身や四肢一面に施すといった大胆な描き方で、多くの外国人を虜にしたとも言われています。

様々な意味合いを持った江戸時代のイレズミ

日本でイレズミが大々的に広まったのは江戸時代だと言われています。その主な理由は三つです。遊女の誓いのしるし、任侠の世界に身を置く人や火消し人などが自分の存在感をアピールするため、刑罰の一つだったことです。

遊女の誓いのしるしとしてのイレズミは「入れぼくろ」と言います。遊女が客に対して、「あなたこそ本当の私の想い人です」と“愛の証し”にイレズミを入れました。初めは相手の年齢の数だけ点を入れるといったシンプルなものでしたが、次第に「〇〇様命」というような文字を彫るようになりました。

天和年間(1673~1683年)頃より、任客などの間でイレズミが流行するようになりました。始めは「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」といった文字を入れていましたが、明和3(1766)年頃から、龍や般若の面、生首(獄門)、ろくろ首などの図柄を入れることが主流になっていったようです。そうしたインパクトのある図柄を全身や背中、腕に彫ることで、ほかの人とは違う特別な者といった存在感をアピールし、同時にそうした広範なイレズミを彫れるほど痛みにも動じない強い者であると主張したのです。

このほか、町火消しや飛脚、駕籠かきといった職業の男性にもイレズミが流行しました。特に火消しの頭は、力士、与力とともに「江戸の三男」と称せられ、町の世話役だったため、自らの力を誇示する道具の一つとしてイレズミが使われたようです。

一方、自らの意思に反して強制的に行なわれたイレズミが黥刑です。享保5(1720)年、江戸幕府は「御定書百箇条」の中で、中国の明の法律を参考に刑罰の一つにイレズミを加えました。イレズミは一度彫ると、それを消すのは容易ではないため、前科者を一目で判断できて便利だったからです。

ところが、そのことが災いして、黥刑に処せられた者が、あえて自分のイレズミを見せて、周囲の者を恫喝するといったことが頻繁に起こるようになりました。一説には、日本ではイレズミに対して、芸術的に素晴らしいと評価する人がいる一方で、「何かしら怖いもの」といったイメージがあるのは、この時代の黥刑の影響ではないかとも言われています。

のちにイレズミの流行を危惧した江戸幕府は、黥刑以外のイレズミを禁止するお触れを二度も出しましたが、実際にはあまり効果はなく、事実上黙認していたようです。

外国人の影響を大きく受けた明治以降のイレズミ規制

明治時代に入ると、政府によるイレズミ規制が本格化しました。当時、欧米人の中にはタトゥーを入れる風習を野蛮と見る者がおり、外国から「野蛮な国」という評価を受けないことに政府は心を砕いたからです。当時、来日したドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツは、「東京だけで3万人以上の人がイレズミをしている」と発表しています。

このようなイメージを払拭するために、明治政府は明治3(1870)年、黥刑を廃止し、さらに明治5(1872)年、イレズミを禁止しました。しかし、現状は江戸時代のイレズミ規制と同じく、それほど厳しいものではなかったようです。

一方で、イレズミの習俗を擁護するような人たちもいました。たとえば、明治42(1909)年、谷崎潤一郎が小説『刺青』を発表したり、昭和4(1929)年、逓信大臣となった小泉又二郎(小泉純一郎元総理大臣の祖父)はイレズミを入れており「イレズミ大臣」と呼ばれていました。

また、来日する外国人の中には、イレズミに対して嫌悪感を抱く人がいる半面、その魅力の虜になった人がいました。彼らを驚愕させたのは、シンプルなものが多い自国のタトゥーとは違い、図柄が豊富で精緻なものが多かったことです。さらに、描くサイズが大きく、ワンポイント的なタトクーとはまったく印象が違っていたことです。

最初に日本のイレズミに心酔したのは、来日した船の乗組員などでしたが、そのうち口コミで広がり、「日本に行ったらイレズミを見るべきだ(当時、人力車の車夫などはイレズミをしている人が多かったようです)」「日本に行ったらイレズミを入れるべきだ」との情報が伝わりました。

実際、明治政府は、表向きイレズミを規制しているにもかかわらず、外国人の要望に応えて、外国人居留地での彫師の活動を黙認していました。例えば、イギリスのジョージ5世、ロシアのニコライ2世は、皇子時代に来日し、イレズミを彫ったことがわかっています。

ところで、江戸時代に2回、明治以降はずっと法律で禁止されていたイレズミが違法でなくなったのはいつかというと、昭和23(1948)年のことです。前年の日本国憲法公布に伴い、旧法下での警察犯処罰令が廃止となり、軽犯罪法が施行されたことにより、イレズミ規制は廃止されました。

この規制廃止には、当時、敗戦国の日本を占領していたGHQ(連合国総司令部)の高官がイレズミの魅力にはまり、ぜひ規制を廃止してほしいと要望したからとの説があります。真偽はわかりませんが、そのような説が流れるほど、イレズミをこよなく愛する外国人が多かったことは間違いないようです。

タトゥー除去ができるクリニック厳選集
PAGE TOP